音文字について書いてみようと思います。
「たんたんと」という言葉を書きました。言葉は、人から人へと伝わる時に、元にあるその人の思いとは異なることも多くありますので、今回は、私自身の想像という世界がどういう想像かという内容について、触れてみたいと思います。「たんたんと」の音文字が何のことを書いたものなのかということですが、自分がもしも絵にかいた小さな花であったらということに置き換えて「自分軸」のことを書いたものです。
そこに何故、担々麺が出てくるのかと感じる方もおられるかもしれません。
説明が難しいのですが、書いている時にふと浮かんだ言葉です。ふと浮かんでも、その言葉を選んだのは、自分の日常で殆ど食べない担々麺を、何故言葉を綴っている時に思い浮かべたのかを、自分の心に問いかけ、書きたくなりました。
描いた花を見つめていたら、思い浮かんだ担々麺の麺と、花の茎に重なって見え、そこから担々麺に、担々麺軸というものがあったとしたら、きっとそれは…麺なんだろうかと想像をしていたように思います。
その心のことを、自分でひも解いてゆくと、緊急事態宣言が出て、自分自身の心にある軸がすり減ってゆくような感覚が続いています。それでも同じように感じている方もきっといるから、そういった時に自分だったら、どんな想像だったら、ちょっとでも元気になれるかなと思っていました。それらがきっと自分の内側にあったことなのだなとわかりました。
細長い軸のような花の茎は、その花にちょうど良い茎が育って、しっかり立っています。
私にある内側は自分でも見えませんが、そう思い描けるということが、すり減ったと感じることを再生してくれそうな気がしました。
それから、「たんたん」という言葉は、音楽では、音符の世界を言葉で表現する時に、タンやターンといったふうに置き換えて、表現されています。漢字などにすると、色んなものがあります。絵を描いている時の私は、集中するので淡々と描いている感覚がありますが、それらが音の世界のように、タンタン、というリズムある音へと変わったら元気になれそうと、そんなふうに思って書きました。
日常で想像ということを身近に感じられない方も、お子さんなどにも、こういった言葉に変換すると、わかりよいのかなと思い、書いてみました。
想像での奥行きが広がるということは、作品が形に出来るだけでなく、色んなことへの愛情も、見つけてゆけるように、私はそう思っています。
言葉は色んな使い方がありますが、前にも書きましたが、学びながらでも大切に思えることが、自分という人生で見つけていけたらいいなと思います。
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